あり得へん!どう考えてもあり得へん!マスコミも気付いているはずだ。下手なヒーロー作りは止した方がいい

 大和君の足取りを確かめようと、日テレの「真相報道バンキシャ」も新聞も記者をあの兵舎まで歩かせている。陸上自衛隊演習場内の施設で発見されるまでにたどったとみられるルートを、陸上自衛隊の許可を得て行方不明になった時間に合わせて記者が歩いた、と毎日新聞が動画を見せている。

 約8キロを大人の足で3時間。辺りはかなり暗い。「バンキシャ」は1時間40分掛かって、自衛隊のゲートに着いた。しかし、このゲートはメインの道から右に少し入ったところに柵のようなものがあり、中の見通しは利かない。そもそも記者は目的地を知っているから右の柵を越えていったのだが、小2の大和君は自衛隊演習場のことを何も知らないのだから、この柵を越えていく理由がない。前回も書いたが、犯罪者で逃亡者ならいざ知らず、無理やりこんなところへ入ることはあり得ない。
(ここで早速推理しておけば、大和君はこんな柵を越えてなんぞ行かなかった。つまりここを歩いてなんかいなかったのだ。)

 さて、この柵から兵舎までは約3キロ。兵舎に着いたのは午後8時過ぎだ。辺りは真っ暗だ。真っ暗な中で兵舎が探せたのが不思議だし、鍵が一か所掛かっていなかったというが、その扉を探すこと自体がかなり困難だろう。100歩譲って、兵舎内に入ったとしよう。当然中は真っ暗だ。そんな状態でマットレスを探せるのだろうか。小2一人では困難だろう。

 再び100歩譲って、マットレスを見つけたとしよう。あのマットレスはうず高く積んであった。それを真っ暗闇の中で2枚も降ろすことができたのだろうか。不思議だ。そして、兵舎内は10度ちょっとの温度でかなり寒い。Tシャツ一枚でいくらマットレスを掛けたと言っても体に密着せず、暖は取れないはずだ。「バンキシャ」のスタッフは夜中に同じように寝てみたというが、本当だろうか。「ただいま午前1時半です。」とかいって起きたが、ほとんど平気な顔をしていた。
 あり得ない。そんな寒いところではふつう寝付けないはずだ。恐らくスタッフとカメラマンは何か厚着のもので暖を取り、談笑をして過ごしたのだろう。全くリアリティがない。リアルに寒さを表現したら、大和君がこんなところで一晩どころが何泊もできるはずがないということがわかってしまう。
 テレビ局は、大和君が兵舎から発見されたという事実に呪縛されて、ここに6日間いたということを疑う訳にはいかない。だから、「あり得へん!」というのは禁句にしてしまったのだろう。だから、こんなものは検証にもなにもなっていないのだ。「STAP細胞はあります」というのと同じだ

 医者まで幸運が重なったなんていうが、アホと言うしかない。「あり得へん!」というのが答えだろう。
 この「あり得へん!」と言えなかったばっかりに起こった悲劇が、オウム真理教だ。麻原彰晃が空中浮遊をやってみた。普通は「あり得へん!」でおしまいだ。しかし、高学歴の信者たちはこの「あり得へん」空中浮遊をしてしまった、奇蹟を越してしまったのだから、もう麻原尊師の言うこと、やることを信ずるしかなくなった。
 しかし、「あり得へん」ことは「あり得へん」のだ。答えは簡単なのだ。手品。つまりタネがあるのだ。スプーン曲げで超能力少年が何人か出た。「あり得へん!」と考えれば、手品なんだが、言葉巧みにかつ不思議そうにスプーン曲げをやって見せれば、超能力を信じてしまう人も出てくるのだ。しかし、ミスター・マリックが手品としてやって見たではないか。

 今回の大和君の件も「あり得へん」が正しい答えだ。種明かしはまだ出来ていない。しかし、マスコミは警察もだが、この「あり得へん」ということを前提になぜきちんと検証しないのか。手品のショーなら真面目にネタ探しをしたら手品師に迷惑をかけるが、今回は世間を騒がせたのだ。世間に真実を知らせる又は知る権利があるのだ。

 「あり得へん」ということを前提にキチンと謎を解明すべきだ。例えば兵舎の鍵のかけ忘れの問題。「バンキシャ」はこの大事なポイントを何故かスルーする。大和君に不利なことが出てくるのが困るからか。なんでそんなことに自己規制するのか。鍵が全部かかっていたのか、いないのか確認など簡単なことだろう。そして、6日目の発見時扉を開けたらそこに大和君が立っていたようだが、その時カギは開いていたのかどうなのか。開いていたのなら、30日の点検の時鍵を閉め忘れたのか、そうでないのか。そのぐらいのことをテレビ局はなぜ確認しないのか

 30日の点検といえば、その時マットレスはどんな状態になっていたのか。なぜ自衛隊は一番大事なのことを言わないのか。もし、マットレスが引き出されていたら、怪しいと直感的にわかるだろうし、もし、マットレスが引き出されていなかったら、子供は28日事件当日兵舎に入ったということはウソになる。何故って、この子供はそんなに礼儀正しいのかということになる。寝具は毎日畳んで片づけましょうということをこの非常時に子供はやったのか。やるわけがない。28日事件当日兵舎に入ったなら、当然マットレスは敷きっぱなしになっているはずだ。だから30日の点検の状況はとっても大事なポイントだ。それをマスコミは触れたくないかのようにスルーする。

 マスコミもバカじゃない。「あり得へん」ことにとっくに気付いているはずだ。しかし、「あり得へん」ということを解明すると何か見たくないものを見るかもしれないので、方針として少年をヒーローにすることに決めたのだろう。だから、テレビのコメンテーターもおかしい、おかしいと思いながら、凄いというしかできなくなったのだ。

 私の推理は今でも前回書いたのと同じ。当日兵舎に大和君は行かなかった。発見の前の日に第三者に連れてこられたのだと思っている。親戚の誰かが真実知っているはずだ。大人の協力なしにありえない。

 こう書いてきて、江戸時代に天狗にさらわれたという仙童寅吉と呼ばれる超能力少年がいたということを思い出した。この仙童寅吉という超能力少年は世間の評判になり、それを信じた当時の有名な国学者平田篤胤は、『仙界異聞〜仙童寅吉物語』という本を書いたくらいである。
 何だか、大和君も仙童寅吉のような超能力少年かもしれないが、まずは「あり得へん」としてから真実を明かしてほしいものだ。そうしないと、平成の仙童寅吉と言われてしまうかもしれないから。

「黄昏怪奇譚」より
「江戸で「天狗小僧寅吉」とか、「仙童寅吉」と呼ばれる超能力少年が評判になった。文化九年(1812年)四月、寅吉が七歳のときのことである。江戸上野の池之端五条天神の境内で遊んでいたところ、奇妙な薬売りの老人が仕事を終えたのか、道端に並べていた薬を片付けるところだった。
 じっと見ていると、老人はすべてのものを小さな壺に入れ、みずからも壺のなかに姿を消して、いずこともなく飛び去っていった。寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いた。しかし、好奇心が旺盛だったから、再び境内にきてみると、例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壺に入らぬか」と誘った。寅吉は好奇心に駆られ、老人と一緒に壺に入ると、常陸国(現・茨城県)の南台丈という山へ連れていかれた。
 こうして寅吉はたびたび老人に連れられ、各地へ飛行した。やがて常陸の岩間山へ飛び、その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行した。その間、岩間山と家とを往復しながら、超能力を身につけていった。
 しかし、何度も家を留守にするので、世間では天狗にさらわれた少年ということになり、「天狗小僧寅吉」とか「仙童寅吉」と呼んだ。実際、失せ物を探し当てるなど、占術では異能を発揮したという。
 その後、寅吉は文政三年(1820年)から江戸下谷の薬種問屋長崎屋に身を寄せ、暮らすようになった。それというのも主人の新兵衛が超能力に興味を抱いていたからである。新兵衛は自宅で、しばしば超能力会を開くようになったが、そこには幕府祐筆を務めた国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。彼らが感心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。
 寅吉はまだ15歳の少年である。しかし、とくに寅吉の話を聞きたがったのは、平田篤胤だった。色々話を聞くうちに、いっそう「仙界」(仙人の住むとされる世界)への興味をつのらせた。やがて長崎屋での研究会だけでは飽きたらず、寅吉を自分の家に招き、寅吉が訪れたという「仙界」について質問を繰り返し、文政五年(1822年)平田篤胤は、『仙界異聞〜仙童寅吉物語』を発表したのである。平田篤胤はこの寅吉から仙人界に住む者たちの衣食住や祭祀の仕方、彼らの修行、医療、呪術など詳しく質問を繰り返し、その内容を、『仙境異聞』(全2巻)という書物にまとめました。」(引用終り)

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