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zoom RSS 長谷川三千子先生にもっと学ぼう 民主主義も憲法も

<<   作成日時 : 2015/10/19 21:50   >>

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 SEALDsなんていうのは昔の学生運動からみれば、レベルが余りにも低過ぎて話にならないのだが、こうも持てはやされるのは、時代のなせるわざか。つまりは時代自体が劣化の一途をたどっている証(あかし)なのだろう。
それは、最近のクイズ番組のクイズの質が余りにも低すぎるのに、それを東大卒の芸人が得意げに答えているのに似ている。視聴者のレベルが昔と比べ余りに低くなっているので、番組制作者はそれに合わすしかないのだ。SEALDs騒ぎも全く同じで、左翼連中(左翼学者も含め)も当然SEALDsのレベルの低さには呆れているはずだが、そんな彼ら・彼女らに合わせていかなければ、マスコミが取り上げてくれないと観念しているのだろう。つまりは、劣化の連鎖だ。

 もう少しレベルの高い民主主義論議を期待して、前回長谷川三千子先生の著「民主主義とは何なのか」(文春新書)を紹介し、かつ引用しつつ、SEALDs及び左翼の民主主義の見方について批判したのだが、彼らの特徴は、自分自身を疑おうとしないことである。

 あの若き哲学者國分功一郎の著作「暇と退屈の倫理学」に感動したのに、民主主義については、平凡な左翼に堕してしまうのはどうしてなんだろう。「来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 」(幻冬舎新書)を眺めると、結局は「私の意見が反映されない」ということだけが言いたいことのようだ。「近代政治哲学の諸問題」なんて大げさな副題をつけても、全く民主主義について深く掘り下げようとはしない。単に参加と抵抗の民主主義を語るのみ。

なんで彼らは民主主義のうさん臭さを批判しないのか。「近代政治哲学」というなら必ず出てくるホッブスとルソー。特に国民主権の立ち上がりを論理的に構築したホッブスへの理解が足りない。というのは、まさに長谷川三千子先生の「民主主義とは何なのか」を読んだからだ

 長谷川先生は「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」(中公文庫)という書でも、旧約聖書を丁寧に読み解く。まさに推理小説を読むごとくに。ホッブスもそうなのだ。ホッブスはリバイアサンとか万人の万人に対する戦いとかの言葉のみでその中身をキチンと解説してくれる人は少ない。
 西部邁氏の「文明の敵民主主義 危機の政治哲学」におけるホッブスの記述を見てもさっぱり分からないし、小川仁志、萱野稔人「闘うための哲学書」(講談社現代新書)の「リバイアサン」の項を見ても、教科書的な解説にちょっと薬味を加えた程度で何をいいたいのかよくわからない。つまり、誰もホッブスの重要性を理解していないようだ。

 それに対し、長谷川先生は、ホッブスのリバイアサンを深く読み解き、ホッブスの国民主権析出の論理を詳しく辿っていく。
 自然状態というキーワードをホッブスは独自の捉え方をする。
「…「各人が各人にとって敵である」状態…我々はすぐ「弱肉強食」という言葉を思い浮かべる。ところがホッブスが言うところによれば、それは弱肉強食ですらないのである。彼は「リバイアサン」第13章の冒頭、「人々は生まれつき平等である」というテーゼを掲げている。これこそはあの「人権宣言」にも「独立宣言」にも掲げられているテーゼであり、…もっとも直接に民主主義そのものに結びつくとされているテーゼである。
 しかし、ホッブスはここで、この「人々は生まれつき平等である」というテーゼを、他の何者も追随しえないほどラディカルでユニークな形において語るのである。」(続く)

 
※すみません。書き写しがめんどくさくなったので、一旦筆を置きます。後日続きを書きます。

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